孤島の鬼を終えて-あの箕浦くんは希望だったのか幻だったのか-
舞台 孤島の鬼ー咲きにほう花は炎のやうにー 12日に千秋楽を迎えました。
赤坂に頻繁にいかなくなるのかーと抜け殻になりながらさみしいなぁという気持ちでいっぱいです。
前回初日後の感想がこちら。
隼くんって大石秀一郎の時は本当に泣かない人だなって思っていて
それが12日の夜公演で初代の死体を目にした時
洞窟の中で溺れる中、もう死ぬんだってなった時だとか
泣いていたんですよね…すごいびっくりしたっていうか。
大石君の時も泣きそうだなぁ 涙目だなぁって思うことは何度かあったんですけど。
かれは舞台の上で生きている人だなぁと思い知らされたように思います。
何度か見るにあたり原作を読んだり、友人が初演の円盤を貸してくれたりして
今回の孤島の鬼が再演ではなく『新装版』だよねっていう結論にたどり着きました。
でも初演と脚本ほとんど同じなのに演出や演者によってこれほどまでに変わるのか!と思いました。
原作に近いのと初めての人がみるなら初演の方が緩急があるというかそれぞれの登場人物が人間らしさもありストーリーが見えやすい感じがします。
初演はセットも衣装も暖色に囲まれているのは
あれが蓑浦である《私》の思い出だからで、傷や汚れの部分が赤と生成色の布で表現されていて
人の中にある鬼ってことなのかなと個人的に思いました。
それで今回の新装版は傷と汚れが黒と緑。重要なところのライトが今回は青だったりとか演技が淡々としていたりとか
緑なのは 緑の血って人ではない みたいなことなのかなって結論になり 鬼か人かみたいな感じなのが根底にあったのかなと。
初演よりも淡々としているのは意図的で冷たい世界って感じが今回は強かったなぁと。
初演にも今回にもどちらも良さがあるし 色々比べるの面白かったなぁ。
個人的に六道の辻で溺れそうになるシーンは本当に死への絶望に満ちていたように思います。
今回の初演と再演で大きな違いはセットや衣装もだけど
原作と初演は「蓑浦」で
今回が「箕浦」であったこと。
・蓑 は カヤ・スゲなどを編んで、体を覆うように作った雨具。
・箕 は 穀物をふるって、殻(から)やごみをふり分けるための農具。
初演をみた人の話を聞くと『私』と『箕浦』があまりにも違うって話があって
たしかに同一人物なのになんでここまで違うんだろうって思ったんだけど
今回の咲にほう花は明確に変えてきてキャスティングしているから『箕浦』なんじゃないか!?って結論になって。
佐藤さん演じる『私』が箕浦のにくい部分というか汚い部分で
石田隼くんが演じる『箕浦』は箕浦の純粋さ天然な部分って感じがしました。
隼くんのファンなので彼の表情とかお芝居とかがとても好きで。
かつ彼が箕浦くんだったことに大きな意味があったんじゃないかなあと思うとすごいなと思いました。
隼くんの箕浦は悪意がないからこそ残酷でひどいなと思います。
諸戸くんの想いを受け入れることはないけれども 手を取ったり道雄さんってよぶのは隼くんの箕浦なんですよねー。残酷!
ラストシーンで隼くんの箕浦くんが諸戸くんに微笑むのもなんだか意味ありげでいろいろ考えてはいるんですけど答えはでないままというか…。
それぞれ解釈があって面白いなあと思いました。
今回5回観劇した中で個人的に千秋楽が特別美しくて苦しかったなあと。
あれが映像に残らないのもったいないけど 千秋楽にみたものは私の心にずっと残るんだろうなぁと思いました。
諸戸くんが一度もセリフを噛まなかったし感情がのっているセリフにぐっときました。
洞窟の隼くんの箕浦くんが絶望と生きたいって気持ちのはざまでみせる演技が毎回すごかったんですけどね…ああいう生きるために必死になる役が似合いますよね。本当に。
千秋楽ではとびきり美しくてかっこよくて彼を応援していて幸せだなと思いました。
赤坂レッドシアターがより記憶に残る特別な場所になってまたいつかあの舞台にたつ彼をみたいなってあらためて思えたり
この座組で別のお芝居とかもやってほしいなー!なんて!!!
本当に地獄のような楽しい作品でした。
きっと隼くんが出なければ原作に触れることもなかったし 色んな人と話すこともなかっただろうなぁと思うと。
色んな方が隼くんのお芝居すごいねーとか 気になる舞台があったら見に行きたい!って声がちらほら周りから聞こえてめちゃくちゃうれしかったです!
3月には朗読劇、6月には弥次喜多もあるのでご興味ある方はぜひとも。
まとまらない文章となりましたがまた何かあれば書き足したりするかもしれません。
改めて 孤島の鬼ー咲きにほう花は炎のやうにーお疲れ様でした!ありがとうございました!!!!